映画にはない!「ハリーポッターと賢者の石」原作小説との違いと魅力

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映画の「ハリーポッター」は好きだけど…

原作小説はどうかな?

そんなあなたに向けて、この記事では映画と違った「原作小説の魅力」を紹介します。

「映画は映画、小説は小説」でファンが分かれることもあるようですが…

私は「どちらも」あったからこそ、国や言語を超えて多くの人がハリーポッターの世界を共有できたんだと思っています。

映画では細かく描かれなかった(描けなかった)登場人物の心の動きや、なぜその場面が面白いのかを紹介します。

読む楽しみを奪うのは嫌なので「賢者の石」のほんの最初の部分だけ。

・・とは言っても、この最初の数章にこの物語の何もかもがみっちり詰まっているんですが。

▪️あらすじが知りたいなら(↓)

目次

映画と違う?「ハリーポッターと賢者の石」を小説で読む魅力

わざわざ小説で読んで欲しい理由はこちら。

物語の中の全ての展開が「生き物」のように動き出す

ハリーポッターの作者J.K.ローリングの生み出すキャラクターたちは、ものすごく「重層的」です。

単純な性格、例えば「おせっかい」とか「勝気」とか「負けず嫌い」とか、そんな一言で片付けられるようなものではないということです。

物語の世界の人物なのに、とんでもなく人間臭い理由は、ここにあると思っています。

こういう生い立ちだから、「こう」と直線的ではなくて、

こういうふうに生きてきて、周りにはこういう人がいて・・というように、重ねてきた時間と出会ってきた人の分だけ、人の思考や行動は複雑になります。

時には説明のつかないものになったりもするわけです。

ハリーポッターの世界は、人物が動くから物語が展開する・・というまさに一人ひとりが「生きている」ような不思議な世界です。

よくある「起承転結」的に、展開や物語のために人物が動くことはありません。

小さな小さな行動と言葉が、誰かや何かをキッカケに爆発したりしながら、小さなうねりを起こし、それらが物語の結末に向けて大きな渦となっていく。

それが「ハリーポッター」のすごさなので、1つ1つの「小さな」部分をしっかり受け止めることができるかどうかが、物語の面白さを深められるかどうかに大きく関わってきます。

この記事では「賢者の石」の最初の数章のエピソードを例に紹介します。

ダーズリー家とハリーの関係、11年間がしっかり描かれる

ハリーは11歳の誕生日まで、自分が「魔法使い」だということを知らずに生きてきました。

唯一の家族は、とても親切とは言えない「ダーズリー」の一家だけです。

自分に魔法の力があるとか、魔法使いの世界があるなんて、全く知らずに大きくなりました。

これは「ハリーポッター」の物語のとても重要なポイントになります。

映画と小説の冒頭の違い

小説ではダーズリー一家が魔法や不思議が大嫌いで、無縁な存在なのかがしっかりと描かれます。

小説の第一章は、ほぼこの話に終始します。

▪️出版社サイトで第1章を読む(↓)

これに対して映画の始まりは不思議感MAXです。

整然としたお行儀のいい夜の街に、長いヒゲと「ローブ」を着た魔法使いが登場し、「火消しライター」で街頭の明かりを消すと、猫が魔女に変身する。

いかにも意味ありげなヒゲモジャの大男が、小さな赤ん坊を連れて空飛ぶバイクで合流し、ハリーはダーズリー家の玄関口に預けられる…。

まさに「ファンタジー」で「魔法」をテーマにした映画だとわかる始まりですし、何かが起きそうでワクワクさせられます。

小説の第一章はちょっとつまらない?

そんな映画のドキドキワクワクとは違って、小説は「奇妙な違和感」の連続を重ねていく構成になっています。

物語の始まりは、ハリーがダンブルドアたちによってダーズリー家に預けられる日の「朝」です。

最初の主役は、魔法使いでもハリーでもなく、ハリーのおじさん「ダーズリー」氏です。

普通のおじさんとおばさんと、赤ん坊にも関わらず既にやんちゃ感が溢れるダドリー坊やのいつもと変わらない朝・・というファンタジーっぽさ0からのスタートです。

ですが、そんな「普通」のダーズリー氏に、少しずつ奇妙で不思議な出来事が起こっていきます。

普段はひた隠しに隠している魔法界が、マグルたちの世界に染み出してしまうことで、いかにこの1日が魔法界にとってとんでもなく大切な日で、喜びが爆発した日だったのかが浮かび上がります。

この奇妙や不思議に対して、おじさんやおばさんが大いに慌て、動揺する様子から、不思議をいかにダーズリー夫妻が嫌っているか、いえ、「恐れているか」が描き出されます。

このあまりにも現実世界的な始まりは、現実世界で頭がガチガチになっている私たち大人を、うまく魔法の世界へと引きずりこむ仕掛けにもなっています。

子どもの頃は冒頭の「現実世界」がつまらなくて高速で読み飛ばしていましたし、本を買ってもらってからしばらくページが進みませんでした。笑

この「仕掛け」の重要さや面白さは、大人になってようやくわかったように思います。

ハリーと読者の目線が同じだから物語に自然に入っていける

ハリーはものの見方や考え方が、魔法使いではない人間「マグル」と同じです。

つまり、私たち読者と同じ。

「え?」と思うことも、「なぜ??」と思うことも、ハリーが周りの人に聞いてくれるので物語に置いていかれることがありません。

一方、魔法使いの家に生まれた子どもたちは、当たり前に魔法に触れています。

ハリーと友達になるロンも、マグルについてほとんど知らないため、ハリーとはものの見方や考え方がかなり違っています。

共通の認識というか、「常識」が全く違うわけです。

生活習慣も違いますし、後から物語のキーにもなる、小さい頃に読み聞かせられた「物語」も違います。

多くのファンタジーは、主人公がそもそも魔法の世界の住人です。

それがハリーポッターでは、主人公が思いっきり普通の人間なので、ハリーが踏み込んでいく世界の不思議さと異様さをハリーと一緒に飲み込んで、ハリーと一緒に慣れていくことになります。

だからこそ、ハリー達の魔法の世界を現実と地続きのように感じられるのだと思います。

そういう意味では、ハリーポッターの映画が面白かった人はもちろんですが…

映画はイマイチ入り込めなかった

・・という人にこそ、原作の最初の部分をしっかり読んで欲しいです。

この不思議な1日は、何の日だったか・・というのは後から明かされますが、ヴォルデモートがその力を失い、魔法界に平和が戻った日だったんです。

魔法界がハリーを祝福し、乾杯している一方で、ハリー本人にとっては辛い辛い11年間が始まります。

既になかなかの複雑さではありませんか。

ハリーのホグワーツ入学までの11年間が描かれる

小説ではハリーがホグワーツに入学するまでの11年についても、10歳のハリーの「回想」ではありますが、どんなことがあったのかが描かれています。

両親が死んでしまい、頼れる身内はおじさんとおばさんだけで、従兄弟はいじめっ子…、ハリーの扱いは散々です。

ハリーの置かれた立場がしっかり染み込むと、ハリーに届いた一通の手紙がどんな意味を持っていたのかを一層理解できるようになります。

ハリーにとってホグワーツがどんなに大切な場所なのかも。

この感情も後々、例えばヴォルデモートと重なっていったりしますし、もっと先の「呪いの子」にも大きくお話に関わってきます。

普通っぽくて、つい読み飛ばしてしまいそうな部分が、実は物語の芯になっているという読者への裏切りも、この物語の魅力の1つです。

小説では丁寧にロンとの関係が描かれる

ハリーとロンの関係は、物語の重要な部分です。

初めて乗ったホグワーツ特急の中で、すっかり仲良しになった二人ですが、そんなはじめましての瞬間から、後々続く「火種」が描かれています。

ハリーには家族がいませんが、ロンの家族は大家族です。

大家族すぎて、教科書やペットがお兄さん達の「お下がり」だったり、優秀なお兄さん達と比べられたりして育ちました。

ハリーは両親が残した遺産があるので、ロンよりは自由に使えるお金がありますし、そもそも有名な「ハリー・ポッター」です。

ロンから見れば、ハリーは「何でも持っている」ように見えます。

それはハリーの方から見た「ロン」も同じで、賑やかな兄妹とあったかくて優しい両親に囲まれたロンは、ハリーが欲しいものをそっくりそのまま持っている存在です。

ハリーはロンと立場を取り替えられるなら喜んでそうするくらいなのですが、自分で持っているものの価値に気づけないのは魔法の世界も、大人も子どもも同じようです。

少しの気持ちのズレや嫉妬が、歳を重ねていくにつれて、ちょっとこじれたり、ほぐれたり、またこじれたり。

その繰り返しで、二人は少しずつ大人になっていきます。

もちろんハーマイオニーもそうです。

小説の中ではメインの3人がそれぞれの個性や置かれた状況と向き合い、ままならないことを飲み込んだり、吐き出したりしながら成長していくところが大きな魅力になっています。

ダイナミックさは映画に軍配ですが、微妙な気持ちの変化や動きを読み取ることができるのは小説ならではです。

誰かが悪いとか、間違っているとかではないんですよね。

大人になってから読むと、ちょっと酸っぱさ強めに感じられますし、色々重なって泣けてきます。

映画とは違う、原作小説「賢者の石」の魅力(小ネタ)

大きいところはここまで紹介してきた通りですが、もう少しだけ小説の魅力をお伝えします。

(ネタバレは嫌なので、ちょっとだけ)

ホグワーツからの手紙が「しつこい」

ホグワーツからのハリーへの手紙はダーズリー家のポストに届きます。

ですが、おじさんおばさんに捨てられてしまい、なかなかハリーは読むことができません。

すると、最初は一通だったのが、徐々に手紙の量が多くなっていき・・・

こうなっちゃったわけですが。笑

こうなる前にもその後にも、なんとかハリーに読んでもらおうと、めちゃくちゃしつこく手紙が送られてきます。

あらゆる手段、あらゆる隙間から、忍び込もうとする手紙。

「魔法」を嫌っているダーズリー家にとっては、発狂レベルというか・・もはや恐怖です。

ちなみに宛先も変化します。

最初は「階段下の物置」と書かれた手紙でした。

これは映画で大写しになりますね。

ハリーが過ごしている場所まで特定されたことに怯えたダーズリー夫妻は、慌てて従兄弟のダドリーの部屋の1つをハリーに与えます。

そうすると・・

「一番小さな部屋」

・・・こわっっ・・!!!

そりゃダーズリーじゃなくても逃げ出すな。

最後の手紙の宛先も、なかなかに皮肉に富んでいて面白いのです。

ドラゴンについてもっとドキドキする展開が・・

ハグリッドが手に入れた、ドラゴンの赤ちゃん「ノーバート」は映画ではさらっといなくなってしまいます。

ですが・・ハリーポッターの物語がそんなゆるい展開を許すはずがありません。

もっとドキドキするような展開が用意されています。

ハリーたちの深夜の大冒険は1回じゃない

ハリーたちの深夜の大冒険は、映画のあの1回だけではありません。

・・それに。

すぐに見つかってしまうと思いますか?

ハーマイオニーの賢さが光る

ハーマイオニーの賢さや貪欲な学習意欲が光るのも小説ならではです。

図書館大好きで調べ物が大得意のハーマイオニーが、「本」を見つけられないなんてこと、あるでしょうか。

このほかにも山のように面白いポイント、エピソードはあるんですが、あんまり書くと本編を読んだ時のワクワクが減っちゃうので、ここで一度筆を置きます。

 まとめ

ハリーポッターの映画が面白いと思ったら、ぜひ原作小説も読んで欲しい!

その理由は「映画でエピソードが削られているから」というのとはちょっと違います。

そうではなくて、小説を読むことでハリーの世界がもっともっと深くなるから。

映画の登場人物達があの時こうした理由は「こういうことだったのか…」とちょっと腑に落ちるとか、あのシーンの目はこういうことだったのね、とか。

そういう感じです。

入り込めた人はもちろんですが、「ファンタジーってさ…」と言いたくなる大人にこそ、とりあえず原作小説を勧めます。

我々「こちこちのマグル(人間)」の頭には、いきなり魔法の世界は難しいわけで。

そんな別世界を地続きのものにしてくれる力が、「賢者の石」第一章にはあります。

子ども心にはつまんないシーンかもしれませんが。笑

見慣れた景色の中にさえ、目をこらせば魔法の世界が映り込むかもしれない。

そんなふうに信じさせてくれるのが、ハリーポッターの魔法の世界の魅力です。

いやいやいや…なんて言わずに、ちょっと足を踏み入れてみませんか?

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