映画の「ハリーポッター」は好きだけど、原作小説を読もうか迷ってる。
そんなあなたに向けて、映画と違う、原作小説の魅力を紹介します。
ちなみに「映画は映画、小説は小説」でファンが分かれることもあるようですが…
私は「どちらも」あったからこそ、国や言語を超えて多くの人がハリーポッターの世界を共有することが出来たと思っています。
この記事では、映画では細かく描けなかった登場人物の心の動きや、なぜその場面が面白いのかをお伝えします。
読む楽しみを奪うのは嫌なので「賢者の石」のほんの最初の部分だけ。
・・とは言っても、この最初の数章にこの物語の何もかもがみっちり詰まっているんですが。
映画と違う?「ハリーポッターと賢者の石」を小説で読む魅力
「ハリーポッターと賢者の石」を映画で見たのに、わざわざ小説で読む魅力、理由は・・
物語の中の全ての展開が「生き物」のように動き出す
から。
J.K.ローリングの生み出すキャラクターたちは、単純な性格、おせっかいとか勝気とか負けず嫌いとかではなく、ものすごく「重層的」です。
物語の世界の人物なのに、とんでもなく人間臭いのはそれが理由。
こういう生い立ちだから、「こう」と直線的なのではなくて、こういうふうに生きてきて、周りにはこういう人がいて・・
重ねてきた時間と出会ってきた人の分だけ、人の思考や行動は複雑で、時には説明のつかないものだったりする。
ハリーポッターの世界は、展開や物語のために、人物が動くのではなくて、人物が動くから物語が展開する・・
というまさに「生きている」ような不思議な世界です。
小さな小さなうねりと、行動と言葉が、誰かや何かをキッカケに爆発したり、物語上の結末に向けて大きな渦になっていく。
そういうお話なので、この「小さな」部分をしっかり受け止めることが出来ると、物語の面白さがぐんと深まります。
この記事では、その例を「賢者の石」の最初の数章から引っ張ってきて紹介したいと思います。
ダーズリー家とハリーの関係、11年間がしっかり描かれる
ハリーは11歳の誕生日に自分が魔法使いだということを知りません。
唯一の家族は、とても親切にしてくれるとは言えないダーズリー一家だけ。
自分に魔法の力があるとか、魔法使いの世界があるなんて、全く知らずに大きくなりました。
そいて、これが「ハリーポッター」の物語の重要なポイントです。
ダーズリー一家がいかに魔法使いと遠い存在か
ダーズリー一家がいかに魔法とか不思議とかそういうものが大嫌いで、無縁な存在なのかということが小説ではしっかり描かれます。
最初の一章はほぼ丸々これ。
↓出版社のHPで1章読めます!
映画では、冒頭はダンブルドアが「火消しライター」で、街頭の明かりを消し、猫が魔女に変身する・・という、不思議感MAXで始まります。
ハリーがダーズリー家の玄関口に預けられる夜のシーンですね。
一方、小説はその日の「朝」から物語が始まります。
最初の主役は、魔法使いでもハリーでもなく「ダーズリー」氏です。
普通のおじさんとおばさんと、子どものダドリーから始まる、あまりにもファンタジーっぽさのないところから始まるのです。
ですが、そんな普通のダーズリー氏に、朝から少しずつおかしくて不思議な出来事が起こるというスタート。
その不思議をいかにダーズリー夫妻が嫌っているか、いえ、「恐れているか」がしっかりと描かれます。
普段我々大人は現実の中に生きているので、「ファンタジー」に抵抗というか入り込めなさを感じてしまうことも。
それが、始まりがあまりにも現実世界になっているおかげで、上手に世界観の中に引き込んでもらえる仕掛けになっています。
反対に子どもの頃は、この「現実世界」が面白くなくて、高速で読み飛ばしていましたが。笑
大人になって、この「仕掛け」の重要さがわかった気がします。
ハリーと読者の目線が同じだから物語に自然に入っていける
ハグリッドに言わせれば「コチコチの人間(マグル)」にハリーは育てられるので、ハリーは物の見方や考え方が「マグル」の視点です。
つまり、私たち読者と同じ。
「え?」と思うことも、「なぜ??」と思うことも、ハリーが尋ねてくれるので物語に置いていかれることがありません。
一方、魔法使いの家に生まれた子どもたちは、当たり前に魔法に触れています。
ハリーと友達になるロンも、マグルについてほとんど知らず、ハリーとは見方や考え方がかなり違っています。
物の見方や考え方の基礎になる、共通の認識というか「常識」が違うわけです。
生活習慣も違いますし、後の物語のキーとなる、小さい頃に読み聞かせられた「物語」も違う。
多くのファンタジーは、主人公がそもそも魔法の世界の住人です。
それが、ハリーポッターでは思いっきりマグルなので、ハリーが踏み込んでいく世界の不思議さと異様さをハリーと一緒に飲み込んで、ハリーと一緒に慣れていくことになります。
だからこそ、ハリー達の魔法の世界を現実と地続きのように感じられる。
そういう意味では、ハリーポッターの映画が面白かった人はもちろんですが…
なんかイマイチ入り込めなかったよ・・という人にこそ、原作の最初の部分をしっかり読むのともしかしたら違った印象になるかもしれません。
ちなみに、この不思議な1日は何の日だったか・・というのは後から明かされますが、ヴォルデモートがその力を失い、魔法界に平和が戻った日。
魔法界がハリーを祝福して乾杯している一方で、ハリーには辛い11年間が始まるというなんとも複雑な感じで物語が始まっていきます。
ハリーのホグワーツ入学までの11年間が描かれる
映画ではほぼシーンがありませんが、ハリーがホグワーツに入学するまでの11年間についても、10歳のハリーの「回想」ではありますが、どんなことがあったのかが描かれます。
両親が死んでしまい、頼れる身内はおじさん・おばさんだけで、いとこはいじめっ子…、その扱いは散々。
その辺りがしっかり染み込むと、ハリーに届いた一通の手紙がどんな意味を持っていたのかが一層理解できるようになります。
それに、ハリーにとってホグワーツがどんなに大切な場所なのかも。
この感情も後々、例えばヴォルデモートと重なっていったりしますし、もっと先の「呪いの子」でも大きくお話に関わってくる部分です。
ロンとの関係がもっと丁寧に描かれる
ハリーとロンの関係は、物語の中の重要な部分です。
初めて乗ったホグワーツ特急の中で、すっかり仲良しになった二人ですが、そんな初まりのときから、実は後々続く「火種」のようなものが描かれています。
ハリーには家族がいませんが、ロンは反対に大家族です。
大家族すぎて、教科書やペットがお兄さん達のおさがりだったり、優秀なお兄さん達と比べられたりして育っています。
ハリーには両親が残した遺産があるので、ロンよりは自由に使えるお金がありますし、そもそも有名な「ハリー・ポッター」です。
ロンからして見れば仲良しのはずのハリーが「何でも持っている」ように見えて複雑なわけです。
もちろん、ハリーはロンと立場を取り替えられるなら喜んでそうすると思いますが、自分で持っているものの価値にはなかなか気づけないのは、魔法の世界も子供も大人もないわけで。
その少しの気持ちのズレとか嫉妬みたいなものが、歳を重ねていくにつれて、ちょっとこじれたり、またほぐれたり。
その繰り返しで、少しずつ二人が一緒に大人になっていきます。
もちろんハーマイオニーもですが、小説の中ではこの3人がそれぞれが持っている個性や置かれた状況を飲み込んだり吐き出したりしながら、成長していくのがやっぱり魅力なんだと思います。
ダイナミックさは映画に軍配ですが、微妙な気持ちの変化や動きを感じられるのは、小説ならでは。
誰が悪いとか、間違っているとかではないんですよね。
この辺りは、大人になって読むとちょっと酸っぱさ強めに感じられますし、なんか泣けます。笑
映画とは違う、原作小説「賢者の石」の魅力(小ネタ)
大きいところはここまで紹介してきた通りですが、ここからはほんの少しずつ。
ホグワーツからの手紙が「しつこい」
ホグワーツからのハリーへの手紙は、おじさんおばさんに捨てられてしまい、なかなかハリーの元に届きません。
最初は一通だったのが、徐々に多くなっていき、最後は・・
こうなっちゃったわけですが。
こうなる前にもその後にも、なんとかハリーに読んでもらおうと、めちゃくちゃしつこく手紙が送られてきます。
あらゆる手段、あらゆる隙間から、忍び込もうとする手紙。
「魔法」を嫌っているダーズリー一家にとっては、発狂レベルというか・・もはや恐怖のレベルです。
ちなみに宛先も変化します。
最初は「階段下の物置」と書かれた手紙でした。
これは映画で大写しになりますね。
ハリーが過ごしている場所まで特定されたことに怯えたダーズリー夫妻は、慌てていとこのダドリーの部屋を1つ、ハリーに与えます。
そうすると・・
「一番小さな部屋」
・・・こわっっ・・!!!
そりゃダーズリーじゃなくても逃げ出すな。
最後の手紙の宛先もなかなかに皮肉に富んでいて面白いのです。
ドラゴンについてもっとドキドキする展開が・・
ハグリッドが手に入れた、ドラゴンの赤ちゃん「ノーバート」は映画ではさらっといなくなってしまいます。
ですが・・ハリーポッターの物語がそんなゆるい展開をするはずがないわけで。
もっとドキドキするような展開が待っています。
ハリーたちの深夜の大冒険は1回じゃない
ハリーたちの深夜の大冒険は、映画のあの1回だけではありません。
・・それに・・
すぐに見つかってしまうと思いますか?
ハーマイオニーの賢さが光る
ハーマイオニーの賢さや貪欲な学習意欲がもっとよく分かります。
図書館大好き・調べ物大得意のハーマイオニーが、「本」を見つけられない・・なんてことはないわけです。
このほかにも山のように面白いポイント、エピソードはあるんですが、あんまり書くと本編を読んだ時のワクワクが減っちゃうので、ここで筆を置きます。笑
まとめ
ハリーポッターの映画が面白いと思ったら、原作小説も読んで欲しい・・!
でも、「映画でエピソードが削られているから」というのとはちょっと違うように思います。
そうじゃなくて、もっともっと深くなるから。
映画の登場人物達があの時こうした理由は、「こういうことだったのか…」とちょっと腑に落ちるとか、あのシーンの目はこういうことだったのね。とか。
そういう感じです。
それから、入り込めた人はもちろんですが、「ファンタジーってさ…」と言いたくなる大人にこそ、とりあえず原作小説を進めたい。笑
我々「こちこちのマグル」の頭には、いきなり魔法の世界は難しいわけで。
そんな別世界を、地続きのものにしてくれる力が、「賢者の石」第一章には隠されています。
子ども心にはつまんないシーンかもしれませんが。笑
ふと目を逸らせば、魔法の世界が映り込むかもしれない。
そんなふうに信じさせてくれるのが、ハリーポッターの魔法の世界の魅力です。
いやいやいや…なんて言わずに、ちょっと足を踏み入れてみませんか?