ハリー・ポッターは翻訳が微妙。
文字の装飾がひどい。
というのは、なんだかネット界隈をうろうろしているとよく突き当たる言葉です。
で…。
もし、読みたいなと思っていて、こういう批判が気になって手が止まっているなら…。
たくさんの人が、松岡さんの日本語翻訳でハリーの世界に恋したんだよ。
私は英語に詳しいわけでも、翻訳についてよく知っているわけでもありません。
でも、ハリーポッターの物語を日本語で読んで好きになったし、だからこそ大人になってから英語で読むことにも挑戦しました。
この記事では、せっかくの読みたい気持ちを台無しにせずに、安心してハリー・ポッターの本を手に取れるよう、あなたの背中をしっかり押したいと思います。
▪️賢者の石のあらすじを詳しく
▪️とりあえず一章読んで試すのも…!
ハリーポッターを英語で読んで日本語訳に違和感はあったか
ハリーポッターの英語版に挑戦したのは、大好きな作品を実際に作者が書いた言葉で読んでみたかったから。
それから、ネットで「日本語訳は微妙」みたいなことが書かれているのをうっかり見てしまったことも理由の1つでした。
原書を英語で読んでも違和感なし
実際英語で賢者の石を読んでみて、「ええ全然違う」とかは全くありませんでした。
それ以上に思ったのは、英語を追いかけながら、松岡さんの日本語訳が出てくる…!ってこと。
私には、英語のセンスもバイリンガルの能力もないので、頭の中は「超」がつくほど直訳しかできません。
ですが、日本語版は読みすぎて若干暗記しています。笑
目の前の原文の英語と、記憶の中の日本語訳はきっちり合致しましたし、
日本語訳でもらったハリーの「イメージ」を、英語の文章の上で何の違和感もなく再現しながら読むことが出来ました。
専門家レベルの人なら気になるのかもしれませんが、物語も言語も「楽しめればいい」素人。
この感覚で十分だと思います。
英語のリズム感はすごい
もしも違いがあるとすれば、英語のリズム感かもしれません。
これはご本人も「ふくろう通信」の中で、「英語のリズムや言葉遊びは表現しきれない」と言っていらっしゃいます。
私の感想になっちゃいますが、日本語で読んでいる時は、ハリーが夏休み中にダーズリーの家で過ごす時間がとっても長く、ちょっぴり退屈で結構読み飛ばしていました。笑
ですが、英語版だと夏休みのシーンが・・面白い。
あれ?ここってこんなに楽しかったっけ?
こんなにポンポン話が進んでたっけ?
という感じ。
その感覚は、英語が流れるようなリズムで、テンポよく物語の先へ連れていってくれたからなのかもしれません。
・・が、もうそれは日本語と英語という根本的に違う発音の言葉なので・・
翻訳がどうこうではなくて、「言語学」の問題になっちゃいます。笑
その辺りは、「原書で読む面白さ」として別の楽しみにしちゃえばいいのではないでしょうか。
▪️オーディブルで聴くとより分かります!
ハリー・ポッターの日本語訳は「微妙」なの?
日本語の素晴らしい「古典」的な作品は数多くありますが、さて・・
それが本当に「面白いのか」と聞かれると、私は答えに困ります。
日本語が素晴らしいことと面白いことは別の問題
確かに教科書に載るような作家の本とかって、ものすごい日本語のパワーで、いつまでも頭とか記憶に場面がこびりついたりします。
体験してないのに、体験した…見てしまった…みたいな消えない記憶になったりします。
・・なので個人的にはわりと怖すぎてトラウマです。
日本語的に素晴らしいからといって、それが「好き」に繋がるわけじゃないし、面白いに繋がるわけじゃないと思います。
一時期「携帯小説」なるものが流行りましたが、日本文学としてはイマイチでも、私は結構面白くて好きでした。
今や日本の代名詞になった「漫画」だってそうです。
漫画で覚えた言葉や表現はたくさんありますが、綺麗な日本語ですか??と聞かれたら・・
答えに詰まります。笑
そんなもんじゃないでしょうか。
ネットを見ていると、「日本語訳がもっと良ければ、もっと広まったんじゃないか」みたいな話がありますが、本当でしょうか?
日本語訳がもっと「意訳」的だったら、どうなったか分かりませんし、文字だけだったら子供には受け入れられなかったかもしれません。
実際、新装版の翻訳はちょこっと変わっていました。
原文は・・
‘CAR CRASH!’〜’How could a car crash kill Lily an’ James Potter? It’s an outrage! A scandal! Harry Potter not known’ his own story when every kid in our world knows his name!’
【上製版】
「自動車事故!」(中略)
「自動車事故なんぞで、リリーやジェームズ・ポッターが死ぬわけがなかろう。なんたる屈辱!なんたる恥!魔法界の子どもは一人残らずハリーの名前を知っているというのに、ハリー・ポッターが自分のことを知らんとは!」
【新装版】
「自動車事故!」(中略)
「自動車事故なんぞで、リリーやジェームズ・ポッターが死ぬわけがなかろう。魔法界の子供は一人残らずハリーの名前を知っとるっちゅうに、なんたる屈辱!なんたる恥!ハリー・ポッターが自分のことを知らんとは!」
私は「上製版」で覚えたので、この言葉の並びが好きです。
ですが、日本語的なのは下の新装版かもしれません。
松岡さんが、フクロウ通信の中で、「英語で読んだ時の感覚を伝えたい」と書いていた感じはこういうところなのかな。と思ったり。
勢いとかリズムは上製版が原書のままを表現しているような感じもします。
ですが、新装版で変えたということは・・(色々あったのかな)
で、ちょっと具体的に比べてみましたが・・
・・どっちでもいい気がしませんか??
日本語の小説だって、日本語としてどうなの??というのもあるわけで、それが英語を日本語にしようということになれば、もうそれは途方も無い挑戦なわけです。
とはいえ、出来ないことほど、プロならやってのけろよ…とか思ってしまうのも確か。
しかし、まぁそれは無理な相談だと、私は逆を考えてみて納得しました。
日本語も、英語で完璧に表現することはできない
アニメ「ドラゴンボール」のあの歌、海外でも人気らしいのですが、テレビで若いお兄さんが「歌詞がいいよね」って言ってまして。
「そんな崇高な歌詞あった?」と思ったのですが、英語版の歌詞を見て納得。
CHALA HEAD CHARA
No matter,if ever anything could happen nothing can stop me now
私が下手くそに直訳したって、「何が起きても僕を止めることはできない!」的なことになるのではないかと。
一瞬こんな歌詞の歌あった??となりましたが。
ご存知、日本語は・・
何が起きても気分は へのへのカッパ
・・芸術??
英語にした人めっっっっっちゃ困っただろうな。
「へのへのカッパ」は「へのへのカッパ」だし・・!!!!って。
手触りも、雰囲気もあったもんじゃない。
歴史的な背景も何にもないですからね、へのへのカッパはへのへのカッパだし、いやもはや…死語??
確かに改めて聞くと、いやそうだな、いいこと言ってるな、って思いますが、それは「へのへのカッパ」くらいだぜ!!みたいな感覚です。
なんか英語の重さと違う気がする、いや、多分違うよね。
こんなにも「言葉」って違うなら、もはや英語をそのまま日本語に訳すなんてことは、もう相当にえらい作業なんだなと痛感しました。
で、要するに、本当にハリーポッターを英語で描かれたままに感じたかったら、イギリス人に生まれ変わるしかないわけで。
無理・・!
それが出来ないから、翻訳の力を借りたり、自分で英語版を辞書片手に読んだりするのであって。
実際、レベル無視で英語版に挑戦してみましたが、それはそれで素敵な体験だったなと思います。
ハリーポッターの日本語訳には誤訳が多いの?
「誤訳が多い」みたいなのも結構目にしました。
中でも、ハリーのお母さん「リリー」と、その姉妹の「ペチュニア」の関係性について。
ペチュニアのセリフは英語ではこうです。
How could you not be, my dratted sister being what she was?
ハリーの母親「リリー」を指してこう言います。
で、日本語版では1巻で「妹」と訳していますし、映画でも字幕ではっきり「妹」って書いてありました。
ですが、アズカバンの囚人以降は、リリーが姉という訳になるんだそうです。
で、英語版の最終巻のエピソードで、リリーが妹で、ペチュニアが妹・・ということがわかる表現(yonger)が出てくるもののそこが翻訳されなかった・・!
ということなんだそうです。
日本人はみんなリリーがお姉さんだと思っている
と書いてる人がいましたが、いや、私は最初に「リリーが妹」って言われたから、ペチュニアがお姉さんだと思って生きてきたぞ?となりました。
その後妹だったか姉だったか変わっていたことに気づかなかったというのはありますが(汗)。
話の流れとかからして、結構はっきりリリーが妹っぽい雰囲気だったしな・・。
まぁそもそも「sister」と書いちゃう英語と、姉と妹を区別したい日本語の違いですよね。
・・まぁ・・そりゃあ、衝撃だけどさ。
そんなことを言ったら、私は薬草学のスプラウト先生をずっと男だと思ってましたし。
英語だと、Mr、Msを付けるから、名前が出てきただけで男女の区別が付くんですね。
英語版を読んだ最初の衝撃はそれでした。
「え・・・!!!女の先生だったのね」
しかも、このスプラウト先生は、作者J.K.ローリングの「お母さん」がモデルということで・・。
うーん、振り返ればとんでもない勘違いですが、まぁ・・ね。
この物語が与えてくれる大事なものは、そんなところじゃないと思うわけです。
ハリーポッターの日本語版は文字の装飾がひどい?
もう1つが、日本語版の文字の装飾。
※左が上製版、右が新装版
フォントを変えたり、文字の大きさを変えたり、一部をイラストのようなデザインにしたり・・
ということだと思うんですが。
・・個人的には
そんなに嫌かい?
という感じなんですが。
現在発売されている、上製版やペガサス文庫は、文字の装飾がしっかりされています。
ですが、新装版や文庫新装版は、この文字装飾が穏やかです。
気になる方は新装版を選べば大丈夫です。
私は、「上製版」の文字装飾がある本でハリーポッターを読んできたので、初めて新装版を開いて、ちょっと画面が寂しいな・・なんて思ってしまいました。
文字の装飾がないと「素っ気ない」ように感じてしまいます。
日本語にはない英語の雰囲気とか、そういうものを文字の装飾や大きさ、フォントなどで表現してくれていたのではないかと、勝手に想像するわけで。
それに、あくまで子ども向けとして発売されています。
子ども向けの本としては、かなりの字の分量ですし、外国のお話。
文字だけでは、想像が追いつかない部分もたくさんあったのではないかと思います。
少なくとも、私はこの文字の装飾やフォントなどに助けられて子供の頃にあの分厚い本を読み切れたのだと思います。
そして、大人になった今も、やっぱりあの装飾やフォントが出てくる編集が好きです。
ちょっと漫画チック・・というのもあるのかもしれません。
とはいえ、無理をする必要はなくて、字だけでいいんだよ!という人は装飾の緩やかな新装版などを選べばいいと思います。
▪️本の種類や違いについては(↓)
【無視でOK】ハリーポッターの日本語訳は微妙?誤訳が多い?
もちろん、文学的とか言語学的とか、そういう固い意味で言えば色々あるのかもしれません。
でも、ハリーポッターの物語を楽しみたい私たち自身は、そんな専門家じゃ無いわけです。
英語どころか、日本語だって、母国語ってだけで「研究者」でも「専門家」でもありません。
それなら、「いい!!」と言う人が多ければOKでいいんじゃないでしょうか。
そっちに巻かれに行きましょう!
なんでかっていうと、そういう批判を一度読んでしまうと、もう気になってお話が全然入ってこなくなります。
小さい頃から、松岡さんの日本語で読んできた私ですら、なんだかこの言葉に気持ちを揺さぶられてしまいます。
ですが、日本の子どもや大人のほとんどは、ハリーポッターの日本語翻訳版でハリーの世界を知り、愛してきたわけです。
英語読めるならそりゃあ英語で読むに越したことはないけれど。
細かいあれこれよりも、ハリーポッターの世界が「伝えたかったこと」が、日本語で読んだ多くの人たちの心に真っ直ぐに突き刺さっている。
結構シビアな生い立ちでも暗さがなくて、まっすぐなハリーとか、ロンの嫉妬心とか、ハーマイオニーの賢さと可愛らしさとか。
魔法が可能にしてくれることと、魔法でも叶わないことの境界線や、力を持つことはそこに責任が生じるんだということとか。
ハリーポッターの世界が教えてくれる大切なことは、そういう大きな部分にあって。
その大事なところは、松岡さんの日本語で子どもたちの心にしっかりと伝わっているし、大人になってもなお、その世界で楽しむことが出来ています。
私にとってハリー・ポッターの物語は単なる「小説」を超えた、1つの思い出です。
それが一番大事だと、一読者として思います。
▪️賢者の石のあらすじを詳しく